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幸せになるための条件ってなんだ?
橘玲氏の“幸福の「資本論」”で、著者オリジナルの考えてとして紹介されている
“幸福の3つのインフラ”について非常に納得感があったので紹介します。
まずは“幸福”なに?という定義から入ります。
皆さんはどんな幸福な人生をイメージしますか?
幸福をどう描くか、そんなものは人それぞれという身も蓋もない答えになります。
ですが、どのような幸福を描くにせよそれを実現し支える「インフラ」があると著書はいいます。
幸福のインフラ
著者は幸福を支える条件は「自由」、「自己実現」、「絆」の3つだと主張しています。
そしてそれらは
自由:金融資産
自己実現:人的資本
絆:社会資本
という3つのインフラ=資本または資産に対応しているといいます。
(ここでは、資本=富を生み出す力、資産=富を生み出す方法と理解してください)
これらのポートフォリオをどう組むかということが、その人にとっての「幸せ」の条件であるという考え方です。
また著者の主張の面白いところは、これらのある資本、資産から別の資産へ投資して運用、循環することで互いに補填したり資本全体を大きくしたりすることができるという点です。
金融資産
文字通り、お金を得るための投資対象と考えて良いでしょう。
貯金や株式、債券や不動産のように投資とリターンによってお金を得る方法です。
これらに投資、運用するために、タネ銭を得る方法としては自己資金や借金となります。
人的資本
自分の労働力を労働市場に投入して、給与や報酬として富を得ることです。
稼ぐ力といっても良いでしょう。
仕事から得ることは、なにも金銭ばかりではありません。経験やノウハウと言った無形のものも含まれると考えます。
社会資本
周りの人の関係性から富を得ることです。
ただし、この関係性を金銭的な価値に置き換えるて評価することは難しいです。
友達がどれくらいいるか。といっても良いでしょう。
貯金も稼ぎも少ないのに、なぜマイルドヤンキーは「幸せ」なの?
ステレオタイプで語って恐縮ですが、所謂「マイルドヤンキー」と言われる人たちがいます。
ずっと地元にいて、地元の学校を出たあとは地元の会社で働き、小中学校以来の友達と家族ぐるみで付き合っている。
休日はミニバンでイオンやコストコにでかけ、でっかい肉をシェアする。というような。
彼らは決して稼ぎが多いわけでもなく、それなりに消費をしますので金融資産も決して多くない。
だけど、彼らなりに「幸せ」な生活を送っている。それはなぜでしょうか?
それは、彼らのポートフォリオが社会資本に偏っていて地元の友達とつるむことで人的資本や金融資産から得られる幸せを補っていると考えられます。
仕事は友達や先輩づてに紹介してもらったり、友達と買い物をシェアすることで出費を抑えたり。
ただし、この社会資本=友達関係を維持するには、それなりにコストを支払う必要があります。
いつもつるんでいるメンバーと行動し、同じような生活レベルを維持し決して輪から外れないように努力する必要があるのです。
老後不安はどうして起きるのか?死ぬまで貯金の日本人
「老後2000万円問題」というのがありましたが、日本人は年金生活になっても「何かあった時」のために貯金をする方がまだまだ沢山いらっしゃいます。
頂いた年金をどう使おうと貯めようと私がどうこう言う立場ではありませんが、日本人は何故かくも老後に不安を覚えているんでしょうか。
この幸せのポートフォリオで考えるとわかります。
老後とは一般的には会社を定年したあとの生活をさして言います。
人的資本にあたる会社勤めを終え給与からの収入が減り、しばらく後に年金といういわば金融資産から収入を得るられるようになる。
つまり、その方にとって人的資本が退職とともにリセットされます。
そうすると、これまで最も軸足をおいていた人的資本が以外の2つの資本に重心を移さざるを得ない。
もともと、サラリーマンは会社以外の社会資本をほとんど持たない方が多い。そうなると頼るは金融資産のみとなる。
老後に差し掛かって投じるタネ銭や時間はすでにない。すなわち老後不安となる。
ざっとこういうところでしょう。
あなたにとっての幸せってなんですか?
著者は、この3つのインフラをすべて持ち合わせる人を著書内で「超充」と呼びます。しかし現実には、存在し得ないとも言います。
逆にこの3つともを持たない人のことを「貧困」と言います。
この定義に従えば、世間で言う「貧困」とは自分の幸せを描ききれずどのインフラも育ててこなかった状態を言うのではないでしょうか。
自分にとってどのインフラを充実させるか、みなさんがそれぞれに幸せを描いて見てください。
それが所謂「自分探し」というやつではないでしょうか。