海外赴任

海外駐在、トラブル、昇進、盛りだくさんの近況 2年を振り返る

12月 31, 2019

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タイに赴任して2年

2017年12月31日タイに赴任しました。
ちょうど2019年の年末現在で2年になります。
今回は私の備忘録として赴任珍道中を書きたいと思います。

年末赴任

こんな年末にわざわざと思われるでしょう。
海外赴任すると、日本国内の非居住者ということになります。
非居住者ですから、日本の住民税がありません。
住民税の課税対象になるのは、その年の1月2日に住所を有する自治体ということのようです。
ですので年内に出国することで、翌年の住民税が課税されないということになります。
ということで、私は年内の仕事を精一杯やって赴任することにしたのでした。

大晦日の早朝、子どもたちの寝顔をみて羽田空港へ向かいました。
トランクは数日前に、宅急便で送っていたので荷物は飛行機の中で過ごすための服が入ったリュックのみ。
ついにこの日が来たという私の思いとは裏腹に、近所に買い物にでも出かけるような身軽さでした。
いつもの海外出張のようにチェックイン、出国手続きを終えいつもは入れないラウンジで暇をつぶしました。
初のビジネスクラス。
とんでもなく快適。
事前に何をしようかあれこれ考えていましたが、結局映画を見て座席の心地よさにちょっとウトウト。
ビジネスクラスを満喫、とは行かないものの全く疲れずに移動できたことに感動していました。
極寒の日本を発って6時間、ひぐれのバンコクは意外にも過ごしやすい気温でした。
赴任するまでタイに行ったことんなんてなかった私にとって、タイの印象は「なんだかゆるい国に来ちゃったな」と言うのが率直なところでした

2018年1月3日赴任先初出社

迎え車に揺られて2時間、仮住まいのサービスアパートメントでは、まずはスーツケースをひっくり返して荷物の整理。
妻が持たせてくれたカップ麺や缶詰に、ついさっきまでいた日本に早速なつかしさを感じてしまいました。
夕食は近くのデパートのフードコート、なんとか指さしでカオマンガイを注文しタイ初の食事をすませました。
アパートに戻ってからは、なぜか映る紅白歌合戦を見ながら2時間後倒しの年越しをしました。

翌日から出社までの数日は、とにかくタイってどんなところだ?とアパートの周りを散策して周りました。
日本から出てきたばかりで冬モードの体には、陽射しが少々きついなと思いながらも、海風を浴びての散歩はかなり気持ちよく新任地でのやる気を満たしてくれました。

1月3日、赴任先の新年初日そして私の赴任初日です。
数日前にあったばかりの私の専属ドライバーの運転で、会社に向かいます。
大きな幹線道路と高速道路を乗り継いで、40分ほどで工業団地にある自社に初めて到着しました。
午前7時、まだIDカードもないので、受付でビジターカードに記名して通門。
ロッカーに荷物をおいて、すぐ現法の社長に少々緊張しながら挨拶を済ませました。
その後すぐに、先に赴任していた別の日本人に案内されて自席に初めてむかいました。
まだ誰もタイ人スタッフはいませんが「MANAGER」と書かれた新しいネームプレートが貼られたデスクが私を迎えてくれました。

わたしは、タイの現地法人の子会社の工場に派遣ということになりました。
日本で検討されていたタイの工場を拡張するためのプロジェクトが、建築工事も始まり現地での実行フェーズになったということで私が派遣されたのです。
当時わたしは、日本では係長クラスでした。
赴任先ではエンジニアリング部門の課長級として、わたしの下にタイ人部下10人がつきました。

部署での信任挨拶

朝のミーティングでは恒例の自己紹介です。
隣の課もふくめ80人ほどが集まるミーティングで、タイ語で自己紹介しました。
タイ人の方からは、ざわざわやクスクス聞こえてきましたが三分ほどの挨拶を「言い切り」ました。
先輩からは自己紹介はタイ語でやるのが伝統だといわれていたので、赴任前のタイ語研修では挨拶文だけを必死に作って覚え込んできたのです。
続いての全社の新年ミーティングでも、400人を前に同じネタで挨拶を言い切りました。
ところが同時期に赴任した他の日本人は、「サワディーカップ」以外日本語か英語でした。
何で?伝統ちゃうの?と思いましたが、むしろ向こうからはタイ語でやるなら言っておいてよと言われてしまいました。
タイ語での挨拶のなんて伝統は全く存在せず、わたしは単に担がれたのですが、結構この挨拶が後々まで私を印象付けれくれていることになりました。

赴任後に前任者から受け取った情報はアシマネ包囲網

挨拶を終えてほっとしたわたしはイメージ通り温和なタイ人に囲まれて、何だか余裕じゃないかと思っていました。
ところが、午後からの前任者との引き継ぎではいきなり難問にブチ当たります。
前任者の日本人は、担当替えとなり帰国はしないもののこの課での引き継ぎ事項を確認しました。
そこで話されたことは、仕事の引き継ぎはほとんどなく、痴話喧嘩のようなタイ人同士の軋轢の話ばかりでした。
わたしの部下10人のうちアシマネの1名を除く全員が、この会社が設立された5年前に雇われたいわば同期です。
ほとんど歳も近く、仕事もゆるく和気あいあいという印象でした。
アシマネは、タイの別のグループ会社からの転籍で彼らより少しだけ年上です。
当然、彼はこちらの意図を汲んだ仕事ができます。
アシマネという立場上も、他のタイ人に指示を出す必要があります。
タイ人どうしの和気あいあいからは、ちょっと外れたところにいる印象です。
もちろん、わたしたち日本人マネージャーにとっては最も頼るべき部下です。
その彼のタイ人部下に対する当たりがきつい、えこひいきが過ぎるという連名の抗議文をわたされました。
御丁寧に、日本語訳もつけて。
そこには数名を除く、ほぼ全員がサインをしていました。

いまにも爆発するのか、単に不平不満のはけぐちなのか。
前任者も単に受け取っただけで、深追いはしていませんでした。
赴任初日の私としても、何も打ち手を思いつきません。
ただ私と部下の信頼関係を結べていないいま、拙速な対応はかえってこじらせると考えました。
それより、彼らの間の関係や抗議文の真偽のほどはよく観察して長期戦で対応するように決心しました。

幼稚なタイ人に部下 参る

私が赴任したきっかけのプロジェクトは工場拡張というこで、もともとあった工場は1年前に稼働開始していました。
そのためプロジェクトの担当割以前に、すでにメンバーの担当割りがありました。
しかしマンネリを防ぐこと、それと彼ら自身の希望もあってプロジェクトに関係する業務は担当替えをしようと決めていました。
元の担当表と、いま進行中の業務などを配慮に入れつつ業務負荷が出来るだけ均等になるように1週間ほど考えました。
その間にはアシマネやタイ人メンバーの意向を聞くミーティングも入れたりしましたが、最終的には概ね私の独断と言ってもいい担当表になりました。

早速翌週月曜、週次のミーティングで担当表を発表しました。
彼らの反応は、面白いほどまちまちでした。
ふんふんと納得した様子のメンバーもいれば、あからさまにふてくされているように見えるメンバーもいます。
納得しているメンバーはいいとして、不満を表に出しているメンバーは何が言いたいのか聞いて見ることにしました。
曰く、「私の業務量が少ないから、ボーナスの査定が減る」
「私の担当は、簡単過ぎる。(私を甘く見ないでくれ。)」
「今の担当業務と近すぎて、私が成長できない」
とにかく、私、私、私と手前勝手な主張ばかり。
面白いことに彼らは、仕事の量=評価と思っている節がありました。
本来は、量もさることながら段取りよくやることや改善なんかも評価対象です。
なにより、本業務を通じてどの程度社業に貢献できるかが評価のポイントです。
彼らの主張からは、彼らの幼稚過ぎる仕事観が見えてしましました。

どうにか仕事はスタート

ミーティングでは全員に納得してもらうことができず、わたしは一旦考え直すとして担当表は引っ込めることにしました。
こういうことが頻繁に起きるようでは困るが、年初だしまだ時間もあるので冷静に考え直そうと決めました。
しかし、どうやったら彼らは納得してくれるだろうか?
私なりに納得感のある担当割だったのですが、何がいけないのか?
彼らと私の考え方に、ギャップが有るように思いました。
仕事観の違いがあるのは、そういうものだと一旦脇においてそでもどんなギャップがるか考えました。
ふと思ったのは、彼ら自身この1年の業務がどの程度の負荷になるかピンときてないのでは?ということです。
彼らはまだ稼働している工場の1年間を通じての業務経験がそれほどありません。
担当業務の規模感も、あまりよく見えていない様に感じたのです。
そこで私は、すべての業務のラフな工程表を作りげ、それに私の感覚で負荷を数値で書き入れるようにしました。
それを、すべてて縦に並べて担当者別にソートできるようなエクセルの表にしてみました。
そして、担当別に1年トータルの負荷を足し合わせどのていど各自の業務負荷に差があるか見せるようにしたのです。
合わせてどの時期に業務のピークがくるかというのも、各自の月次の負荷をグラフで比較して見せました。
たとえ簡単な業務でも重なるとオーバーフローの原因になることは、私自身が体験ずみです。
ですので、できるだけ負荷グラフの山のピークがは分散されるように配慮しました。
実際、そのように負荷が分散されるかは彼らのやりかた次第です。
ある意味この表やグラフは方便なのですが、その効果は絶大でした。
一発で納得するどころか、いちばんグラフのが高いメンバーを引き合いに出して「お前本当にできんのか?」みたいにからかう奴も現れました。
全員の合意を取り付けたということで、ミーティングは終了しました。
そんなこんなで、ようやく担当も決まり仕事が転がり出したという感じです。

伝書鳩上司 てんてこ舞い

前年から始まっていた建築工事は、3月ごろには柱がたち床のコンクリートも養生が終わる頃に差し掛かってきました。
ただし、まだ壁はも屋根も一部しかないような状態です。
こんな状態でしたが、スケジュール通り設備の搬入が始まっていました。
こんな環境ですから、電源も仮設ですし扇風機ですら満足な台数ありません。
それでもわたしたち日本人マネージャーは、本社とコミットしたスケジュール必達のため本社とタイ人スタッフの伝書鳩兼、相談係兼、人事評価者という立場でてんてこ舞いしていました。

赴任半年で昇進

そうこうしていると日本のGWを前にした4月の末ごろ、突然社長から2、3日以内に自己アピール文を書いてメールで送る様にと指示をもらいました。
思いがけず、日本の方のタイトルで課長級への昇進の打診があったのです。
もともと、昇進の約束があって赴任したわけではなかったので驚きました。
が感慨にふけっている暇はないので思いつく限りのアピール文を書きました。

GW明けてすぐにWebでの役員面接を受けました。
役員曰く「やる気はあるか?」、「自信はあるか?」、「先輩たちを追い抜いていけるか?」
自己アピール文には何も触れず、本当にやっていけるか?というような質問に終始しました。
わたしは「立場と責任が人を育てると思います。やらせてください!」というような返答をしました。
15分ほどの短い時間で、とくに深追いされることもなくあっけないほど難なく面接を終えることが出来ました。
正直なところ、先輩の課長たちの働きを見ればパッとする人は少ないと感じていました。
ですから、根拠はないけどただ何となく自信はありました。

それから2週間ほど、楽しみやらモヤモヤするやらの日々を過ごしました。
そして、5月の末ごろ社長から唐突に「おめでとうメール」をいただきました。
日本での課長級昇進と同時に、いま所属の現法での部長昇進を告げられました。

そんな中の事故

わたしの昇進面接のが行われた頃も、建築工事と設備の据付工事が並行で進む工程を前述のような劣悪環境で続けていました。
そんな時、事故は起きました。
相当な重量のある設備が、工事の途中で転倒したというのです。
怪我人こそ出ませんんでしたが、一歩間違えると死人が出てもおかしくない事故でした。
当初その事故を機器の破損くらいだと軽く見ていた私たちは、事故当日は調査のため工事を止めたものの故障した設備の代替えの目処がついたとして2日後からは工事を再開することにしました。
そして再開の日の午後、また規模こそ小さいものの別の設備で似たような転倒事故が起きました。
これは我々の管理のやり方に問題があると考えて、本社への報告と同時にすべての工事を止める決断をしました。
ここまでスケジュール必達でやってきた中で、この中断は他部署にも相当な迷惑がかかる。
本当に苦渋の決断でしたが、管理体制を見直す以外は安全第一を掲げる本社から再開の承認は得られません。
それが現法社長以下メンバー全員の思いでした。
本社と協議の結果、「スケジュールは一旦白紙、再発防止の妥当性を説明して役員から了解を得ること」が再開の条件と切りました。

調査と報告の日々

それからというもの、現場の聞き取りや調査、再現実験、本社への報告を何日も繰り返しました。
対策案を練っている間も、当初のスケジュールに合わせて日本から出張してきてくれた支援メンバーは一旦日本に帰し、再開の目処が立てられない状況を彼らの所属部署に説明し、見込みの再開計画で出張のリスケジューリングをしたりという事務仕事も並行して行う必要がありました。
こんな作業を続けること1ヶ月、本当にヘトヘトでした。

この1ヶ月間に何度か本社の調査や役員の訪問を受け、現場の状況を理解いただきました。
対策も納得の行くものが出来上がり、ようやく再開の承認がおりました。

工事の中断を宣言して、承認が得られるまでの間は現場での作業は全く許されませんでした。
ただし、止まっている間もアシマネに命じて外注先とはスケジュールの見直しを続けていました。
手順や投入するリソースの配分も見直して、どうにか工事全体にクリティカルなのを集中して終わらせようという計画にまとめていました。
加えて、失った時間を取り戻すために新しい外注先にも急遽参入してもらうことになりました。

工期挽回はあきらめてダメージコントロール

ハッキリ言えば我々が提示した再発防止策は若干オーバーなくらいの出来でした。
そうでもしないと認めてもらえそうにない雰囲気だったのです。
現場と本社とは同じ目的に向かっているはずですが、最後の最後は考えに隔たりがあるものです。
対策のため多くの手順が見直され、工事の進捗は相当遅くなることがわかっていました。
一度に投入できるリソースは1.5倍まで増やせましたが、それでも当初のスケジュールを維持することは相当に難しい状況です。
しかしこれ以上の工期遅延は許されません。
そのためには、全体の工程上クリティカルなポイントだけは絶対死守しなければなりませんでした。

一発勝負のスケジュール

クリティカルな作業の一つに、新しい建屋への送電がありました。
変電所への接続が必要になりますが、そのためには一旦工場全体を停電させる必要があるのです。
前述の通り、工場の半分はすでに稼働していますからいつでも停電できるわけではありません。
当初の予定では、7月の仏教のお休みを活用することになっています。
どうしてもここだけは外せない、クリティカルなポイントでした。
正直に言えは、この日に向けて工事再開をと本社と調整してきたのです。
現場では後回しにしても問題ない工程の洗い出し、工法の見直し、人員配置の見直しなど、タイ人のアシマネが孤軍奮闘してくれました。
本当に紆余曲折ありましたが、どうにか停電工事までの段取りは完了できそうな見込みまで持っていけました。

またもタイ人気質に悩む

1ヶ月も工事が止まっていたのですが、何もすることがなかったわけではありません。
全体的にタイトなスケジュールでしたから、もともと準備不足の面がありました。
この1ヶ月の停止は、考えようによっては現場作業以外ならそれを挽回できるチャンスだったはず。
ところが、蓋を開けてみるとびっくりの事態が待っていました。
工事再開に向けて準備しておくべきものが、かなりの部分で抜けている。
というか、工事中断した1ヶ月前とほとんど変わっていないという状態でした。
これは完全にマネージャーとしての私のミスでした。
この1ヶ月、私もアシマネもトラブル対応とスケジュールの見直しに追われて、他のメンバーの仕事をフォローすることがほとんどできていませんでした。
もともと楽観主義のタイ人の気質に加え、技術者として未熟な私の部下たちはいまやるべきことを見事に見失って止まっていたのでした。
大見栄を切って新しいシスケジュールをぶち上げたのに、一瞬目の前が真っ暗になる感覚でした。
そこからは、とにかく溜まった見積書をどんどんさばいて止まった仕事を転がりだすようにするしかありませんでした。
結果的に工期は1ヶ月の停止でしたが、向こう半年の計画では全体で2週間くらいの遅延に抑えられるところまで持っていけそうでした。

この半年くらい彼らと仕事をしてきて、私が赴任初日に受け取った抗議文の内容は単なる不平不満だったと確信を得ました。
アシマネの働きぶりは申し分なく、むしろ彼の働きや期待についていけないその他の部下の方に問題があると。
拙速に、アシマネを責めるような真似せずに本当に良かったと思いました。

こちらもどうぞ:外部記事タイ人のスタンダード ヤードムについて

部下の退職、パワハラ、コンプラ問題で幕を閉じた2018

工事の再開後も、毎日の現場巡回と進捗フォローで明け暮れました。
マネージメント陣が集まるミーティングもできるだけ欠席させてもらい、私は現場に集中させてもらいました。
そんな忙殺されているある日、見慣れない書類が机に置かれていました。
英語とタイ語で書かれた書類は一見何かわからなかったのですが、よく読むと退職届でした。
それは私が一番期待して仕事を与えていた、最弱年の部下のものでした。
私の机に置かれる数日前にアシマネは受け取っていたようで、逡巡した末に彼の承認欄にサインする前に私に持ってきたのでした。
こういうセンシティブな書類も、他人に見られないように封筒に入れたり裏返しにするなどの気遣いはないようです。
私はまだ誰にも言っていないはずなのに、早速その日の午後には通訳のタイ人女性から、〇〇くん辞めるんですか?と先制攻撃をを喰らいました。
タイ人の間では、すでに噂が広がっていたようです。

もう本人は辞めると決めているのだから、私がやることは退職日の確認をして承認のサインをするくらいしかありませんでした。
アシマネによると、すでに次の会社も決まっており退社日は来年の1月中旬にしてほしいということでした。
それも年が改まった後に支給される有給を全て使うため、実質年内が最終出社日ということでした。
もう2週間しかないじゃないか!というタイミングです。

引き継ぎや手続きなんていう口実で引き延ばすこともできたかもしれませんが、私は呆れるばかりでそんな気になりませんでした。
もう好きにしたらいい。上司としては最悪かもしれませんが、正直そんな気分で退職届にサインして人事に回しました。

後日談ですが、彼の退職から3ヶ月後に別の部下の1人が結婚式を挙げました。
そこに例彼はちゃっかりやってきて新郎側のパレードの先頭で結納のバナナの木かなんかもって生き生きと騒いでいました。
酒宴で彼らのテーブルを訪れると「また戻りたいんだけど履歴書出していいですか?」だって。
「どうぞどうぞ、出すのは自由だよ」とは言ったものの本当に出してきたかどうかはわかりません。
出したとしても、人事の書類選考で落とされているはずですが。

話は退職騒ぎのすこし前に戻ります、私の部下の1人(女性)が社内のコミッティのスタッフとして私の承認なく勝手にアサインされていることがわかりました。
社長の直轄部署のタイ人マネージャーがそのコミッティを仕切っているのですが、彼の指図だというのです。
元々、彼女のスキルセットとそのマネージャーの部署担当領域は重複している部分がありました。
そのため彼女は自分が異動させられるのではないか?と疑念を持っていたようです。
悲痛な表情で私とタイ人アシマネに相談してきたのでした。
無論、異動などないしそもそもそんなコミッティにアサインするなど私の承認なくできるはずがない。
私はカッとなった頭のまま、件のタイ人マネージャーに抗議のメールを送りました。
1週間ほど経ってもその返事はありませんでした。
そんなとき、私は急に社長に呼び出されました。
相談や緊急対応での呼び出しは毎度のことなので、今度はいったい何の相談だ?と軽い気持ちでドアをノックしました。
社長室の会議机には人事担当の日本人が座っていて、プリントアウトされた紙眺めていました。
一体なんだ?と、まだ事態がつかめませんでした。
そこへ「気を付けろよ!」といきなり社長に一喝されました。
どうも先日タイ人マネージャーに送った抗議のメールを、件の彼は私のきつめの言い回しのところを切り取って、本社のパワハラ相談窓口に送ったようなのです。
なんと!なぜ?「私の部下に、私の頭越しに指示をするな」という極当たり前の抗議がパワハラ?しかも彼と私は同格。権限は同じだからパワハラは成立しないだろう。
怒りを通り越して、呆れるました。
幸いというか当然というか、本社の相談窓口からは「こういう痴話喧嘩は社内でやってくれ」という返答が社長と人事担当に入ったということでした。
「気に食わない日本人を、こういう手を使って強制送還にする現地スタッフもいるからな」という警告が呼び出しの趣旨でした。
ときにはタイ人を相手にきついことを言わねばなりません。
だたしそういうときは必ず口頭で言うに限ると反省しました。
メールは不利な証拠として、ときに捏造してでも使われてしまうおそれがあると言うのが大きな教訓です。

追い討ちをかけるような事態は続いた

年末が迫ってきたので、外注先に出している伝票の支払いもれがないかチェックしていた時のことです。
前もって外注先からもらっていた業務リストに不思議な文言を見つけました。
「支払い済み」「年内完了見込み」ここまではいい「完了、未受注」?「未受注」なのに「完了」?でっかい「?」が浮かんで、すぐに最悪の事態が頭をよぎりました。
これって口頭発注ってやつじゃんか!
年末の経理の締めも近くになってなんて物が!
私はこの他の外注先にも同じ事態がないかものすごく不安になりました。
さっそく私は調達課の協力を得て、全サプライヤーに業務リストの提出をお願いしました。
やっぱりか・・・。
悪い予感は当たりました。
全部で60件近い口頭発注が見つかったのです。
取り急ぎ経理担当のダイレクターにトラブル発生を連絡しました。
彼の協力を得て、経理と調達で事実確認をお願いし、並行して外注先には大急ぎで見積書を提出してもらいました。
そこからは、見積が届いた先から注文書を発行しまくりました。
もう終わっちゃっている仕事ですから、発行しないわけに行きません。
年末の締めに間に合わせるため、経理も調達も私もアシマネも必死だったでした。
一方で、やらかしてくれたタイ人部下たちはどこふく風の様子で全く事態を理解していない様子でした。
実はもっと悪いことも想像していました。
それは、袖の下とかキックバックのような「ギフト」です。
幸い調達の調べでは、それは見つからずでひと安心というところでした。

処分決定

とにかくそんなこんなで、2018年はトラブルに始まりトラブルに終わった1年でした。
コンプラトラブルの件は、事務処理はなんとか間に合いましたが人事的な処分があるか気が気ではない年越しを迎えました。
年明け早々に、私は社長室に呼ばれました。
そこで人事担当からは、私は口頭注意、所属員は全員処分はなしとの決定を通知されました。
私個人についても、メンバーについても非常に寛大な措置をでした。
ただし、ボーナス査定の割り当てを私の部は減らされることが告げられたのです。
やらかした事態に比して、とてもありがたい措置でした。

振り返り

2年の振り返りの予定でしたが、2018年のことだけでお腹いっぱいの記事となりました。
2019年はこの反省から、タイ人を理解すること、タイ人とともに成果を出すことを心がけた年でした。
じつは2019年のことを書こうと思ったのですが思い出せません。
2018年が色々とありすぎたせいでしょうか。
私の失敗を晒すのは、恥ずかしいことでしたがリアルな駐在管理職の1年がみなさんのお役に立てばと思い書きました。
お役に立てることできましたら幸いです。

 

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悩める若手ビジネスパーソンの強い味方になります。 現在タイ駐在員で某上場企業の管理職です。 ちょっと先輩社員として皆さんの悩みにホンネで答えます。 サラリーマンとして年収1000を超えるまでにやってきたことを公開しています。

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